機械式腕時計一筋64年スイスOllech & Wajs(オレヒ&ヴァイズ) の歴史


Sponsored by Ollech & Wajs

今回ご紹介するのはスイスの腕時計ブランドOllech & Wajs(オレヒ&ヴァイズ)。

所謂クオーツショックを生き残り、機械式腕時計一筋で50年代から今も腕時計を作り続けるスイスブランドだ。昔は日本でも販売されていたようだが、ここ最近は日本でOllech & Wajsを知る人は少ない。

そこでこの記事では、信頼性の高さでダイバーや兵士に愛され、NASA所長の腕にも着けられたOllech & Wajsの64年にわたる同社の歴史を、現CEOから日本の腕時計ファンへのコメントも交え紹介しよう。
2019年、新CEOの元で発表された新作コレクション
CEOから日本の腕時計ファンへのコメント


1956年。腕時計店から腕時計ブランドに


Ollech & Wajsの歴史は時を遡ること1956年、腕時計ブレスレットの製造供給を行っていたAlbert Wajs氏と、彼の友人であるJoseph Ollech氏がパートナーシップを結びラグジュアリー腕時計店を開いたときに始まった。腕時計店ということもあり、当初はブライトリングやオメガなどの販売をしていたが、後に自らのブランドOllech & Wajsを立ち上げることとなる。

60年代にはOllech & Wajsとして、主に男性用の腕時計ブランドとしてスポーツモデルとミリタリーモデルを展開。丈夫で見た目も良く、なおかつ手頃な価格を目指した。


雑誌などにも積極的に広告を打ち、英米での販売は仲介業者を省いて直接消費者に通信販売とすることで低価格を実現した。現在も多くのマイクロブランドがクラウドファンディングキャンペーンで「仲介業者を省いて安価な販売を実現」と謳っていることを考えると、先進的と言えるかもしれない。このお陰で、製造コストに対する購入価格の割りが他社よりも良くなり、消費者は品の良い物を手頃な値段で購入することができたのだ。

Ollech & Wajsが販売していた腕時計の中でも特筆すべきはダイビングウォッチとミリタリーウォッチだろう。


北極探検公式ウォッチともなったOWのダイビングウォッチ

(Caribbean 1000。なお現CEOの一番好きなヴィンテージOllech & Wajsは、このCaribbean 1000と後述のAstro-Chronだそうだ。)

ダイビングウォッチに関しては、60年代当時としては驚異的なスペックであるクロノメーター精度で200m防水という腕時計も作っている(参考までにセイコー、1962年の62MASは150m防水)。更には特許取得のモノブロック・ステンレススチール製ケースを採用したCaribbean 1000という、初の1000m防水腕時計も出している(上写真)。 

Caribbean 1000は、1951年に当時のスキンダイビング(素潜りとも)の世界記録-35mを、1956年に-41mの世界記録を打ち立てたダイバー、Alberto Novelliとも協力して造り上げた腕時計だ。Novelliは、従来の酸素ボンベのダイブ時間を80%も向上させることのできる革新的な2段階式のダイビングレギュレーターを発明。1958年にNovelliはFalcoと共に政府関係者や研究者、イタリア海軍らに見守られながら、-131mという人跡未踏の深みに至った。 


Ollech & WajsはCaribbean 1000が未だ開発中であった1963年からNovelliと協力。NovelliらはCaribbean 1000のプロトタイプと共にダイブし、彼らからのフィードバックを受けてCaribbean 1000は完成に至った。

1966年には北極で0度以下の水温でのダイビングの人体に与える影響を調べるためイタリアの北極探検チームが、公式エクスペディション・ウォッチとしてCaribbean 1000を採用したのもこの腕時計の信頼性の高さを表しているだろう。


銃弾から兵士を救ったOWのミリタリーウォッチ


Ollech & Wajsは1964年からミリタリーグレードの腕時計を作り始めた。これは実は時計店に訪れた米軍兵士が「支給品のハミルトンよりも正確で防水性のある時計を作ったらきっと売れる」と提言したことがきっかけだった。

Ollech & Wajsのミリタリーウォッチは正確で頑丈、信頼性が高いとのことで、アメリカ軍では支給された腕時計の代わりに兵士が自費で購入したり、米軍の歩兵大隊から隊員全員分の注文が入るなどもしていたそう(下写真参照)。ベトナム戦争の時期にはベトナムに設置された米軍の酒保/PXストアでも販売されたこともあってか人気が広がった。


Ollech & Wajsは米軍の特定の部隊向けに腕時計を作ったりもしている。左から「スクリーミング・イーグルズ」こと米陸軍第101空挺師団、「ザ・ビッグ・レッド・ワン」こと米陸軍第1歩兵師団、「ザ・ファースト・ワン」こと米陸軍第1騎兵師団。 

このほかにもフランス軍や空軍のパイロットなどにも同社の腕時計は購入された。軍人からは多くの感謝の手紙もOllech & Wajsに届いている。


例えばベトナム戦争ではOllech & Wajsを身につけていた兵士が、銃撃戦にてAK-47で腕を撃たれたが、銃弾がOllech & Wajsの腕時計に当たったため腕を失う代わりに捻挫だけですんだという感謝の手紙も。

 感謝の手紙だけでなく、「格別な腕時計を探していたところ貴社を推薦する声が幾度かあった。貴社の腕時計に関して詳細を教えてくれるよう願いたい」などとする第4歩兵師団司令部からの手紙などもOllech & Wajsには残されている。

兵士の間での人気の広がりもあり、ベトナム戦争当時の60年代には、多いときでは年間の腕時計製造数が1万本にも登ったそう。


NASA所長も着けたOWのスペースウォッチ


(Astro-Chrons、ref:2003。ムーブメントはロレックス・デイトナにも使用されたValjoux 72。)

初めて月面に行った腕時計としてはオメガ・スピードマスターが知られるが、当時NASAが求めていた宇宙で使える腕時計を目指し、Ollech & Wajsも「スペースウォッチ」を作っていた。フライトナビゲーション/オペレーション時にも使えるよう計算尺を文字盤内に入れた「Moon Orbiter」、24時間表示に24時間ベゼル付きの「Early Bird」。 


(こちらが24時間表示の「Early Bird」。その名前は世界初の商用静止衛星、Intelsat Iの愛称からとられている。24時間表示は「軍事時間」とも呼ばれ、12時間で時刻を伝えて間違いが起きては危険な軍隊などで用いられる。これもありEarly Birdモデルは米軍でも人気があった。)

残念ながらNASAの腕時計選考にはOllech & Wajsの腕時計が含まれることは無かった。もしかしたら他のブランドが長い歴史がある中で、Ollech & Wajsは当時創業からわずか8年という若いブランドだったのもこの原因かもしれない。 その一方でNASA職員の間でもOllech & Wajsの腕時計は好評だったようで、ヴェルナー・フォン・ブラウン氏*はNASAの同僚から「Astro-Chrons」を紹介され、着用していたと後にWajs氏は語っている。 

*Wernher von Braun: 第二次世界大戦ではナチス・ドイツでV2ロケットの開発に携わる。その後アメリカへ亡命し、NASA初代所長となった人物。 


テレビでの人気~ブライトリングとの関わり~ブランドの再始動


  
60年代ほどではないにせよ、1970年代にもOllech & Wajsの腕時計は人気だった。イギリスのアクションドラマ『特捜班CI-5』(原題:『The Professionals』)の中で主役の二人がCaribbean 1000を着用していたのも人気の理由かもしれない。なおこの番組は日本では80年代になってから放送されたようだ。

その一方で70年代からはアジア製の安価な腕時計や、クオーツショックのあおりも受け、生産数も低下。しかしOllech & Wajsはクオーツ腕時計を作ることはなかった。

Wajs氏は、まだスイス製の機械式時計には未来があると信じ、新たな市場を探すと共に、長年交友のあったWilly Breitling氏*から、ブライトリングの製造機械とナビタイマーのストックを購入している。なおこの時期にはHelmut Sinn氏(ジン創業者)がナビタイマーのデザイン関連の権利を購入、Ernest Schneider氏(当時のシクラ/Sicura社長)はブライトリングブランドそのものを購入している。

*ブライトリング創業者Léon Breitling氏の孫に当たり、当時のブライトリング社長。1979年没。

Ollech & Wajsはこのときに購入したナビタイマーのストックを自社の腕時計「Aviation」の製造に活用している。その後もOllech & Wajsは1995年のブランド再ローンチまでの間Aviationの製造を続けていた。

ブランド再始動に当たっては、ダイビングウォッチを筆頭に、クロノグラフ、ミリタリーウォッチをリブート。2000年頃にはJoseph Ollech氏はこの世を去るが、その後も20年近くこれらのモデルの製造販売が続けられる。 

24歳の時よりOllech & Wajsを切り盛りし、腕時計を作り続けていたWajs氏にとって、この会社は彼の人生そのものだった。2007年にはすでに会社を後継者に引き継ぐことを考えていたが、結局彼は2017年、89歳になり自ら腕時計を作ることができなくなるまでずっとOllech & Wajsを辞めることは無かった。

Wajs氏は、会社を託すのは信頼でき、ブランドの本質を理解する人物だと決めていた。そして2017年にWajs氏は、1990年台よりOllech & Wajsを筆頭にIWC、ホイヤー、オメガ、ユニバーサル(・ジュネーブ)など合計300本以上の腕時計を所有する腕時計コレクターであり、家族ぐるみの付き合いもある人物、Charles Le Menestrel(シャルル・レ・メネストレル )氏に会社を託した。


2019年、新CEOの元で発表された新作コレクション

 
Ollech & Wajsは2019年に新CEOの元で新たなモデルを発表したした。だがCEOこそ変わっても、その根本は変わっていない。

自らも長らく同社のファンであり、70本ものOllech & Wajsの腕時計を持つLe Menestrel氏は、その魅力を「生真面目さ、ミリタリーさ、本物の無骨さ」だと語る。

その言葉通り、2019年に発表されたコレクションはこれまでのOllech & Wajsの実用的なミリタリーデザインの魅力を汲み取った、堅実無骨なものとなっている。


(P-101)

2019年秋には現存するOWのケースに信頼のETA 2824を搭載して、Philippe Guegan氏による18ヶ月のデザインプロセス、8つのプロトタイプを経て待望の新モデルが世に送り出された。 


創業当初Ollech & WajsはETAとValjouxから特注のムーブメントを使用していた。現在のOllech & Wajsもその意思を引き継いでいる。

新シリーズに用いられるETA 2824は、スイス・ジュラ州の工房で品質確認の後、一旦全分解され、地板部分に「OW」のロゴを彫り込み、ジュラ州で作られたオリジナルのロゴ入りローターが取り付けられる。その後3方向もしくは5方向で時計の精度を調整する。 そして全ての腕時計は3年の製造不良保障がつく。 


(P-104)

2019年にリリースされたのはパイロットウォッチ二つ、「P-101」と「P-104」。

(C-1000S)

そしてダイビングウォッチ「C-1000」と「OCEAN GRAPH」。 


(OCEAN GRAPH)

Swissness*レーティングはなんと90%以上。スイス製ではない部分は、レザーストラップ(イタリア)、RAFストラップ(イギリス)、パッケージ(イタリア、イギリス)、文字盤と針(世界のその他の国…)だそうだ。

*(スイスネス。スイス時計産業FHSによれば「商標および原産地表示の保護に関する連邦法の改正をカバーする網羅的な用語」。これは「スイス・メイド」の表記のためには製造コストの少なくとも60%がスイスで支払われている必要があるとするもの。)


CEOから日本の腕時計ファンへのコメント


Le Menestrel氏はこの記事の公開に当たって日本の読者のためにコメントを寄せてくれた。

私はいつも日本のヴィンテージ腕時計に対する情熱と、更に言えば熱狂にはいつも感銘を受けてきました。あと日本の腕時計雑誌は大好きですね、「誰にも知られていないオメガ」とかを紹介したりして…。実際私は他の国々に先駆け、長い年月をかけてクラシック腕時計の市場を造り上げて発展させてくれた日本の腕時計愛好家達にとても感謝しています。これは若い世代がこれから先も長きに渡って腕時計を身につけ、愉しむための大きな助けになっています。

O&Wは過去30年以上の間日本でも販売されてきました。この日本との関係を今後も続けていきたいと思っています。

Le Menestrel氏自身は謙虚な方で、CEOはブランドよりも目立つべきではないと考えている。

自分はただ、(私が死んで)次のCEOに引き継ぐまで現在のOllech & Wajsのキュレーター兼ガーディアンをしているだけなんです。

と語る氏。今後もOllech & Wajsの培ってきた歴史を大切にしながら、新作を出してくれることだろう。

既に予定されているところでは、今年末に新たにValjoux製ムーブメントに手を加え、500m防水対応のクロノグラフ腕時計を発表予定。

日本でも新世代のOllech & Wajsの腕時計が見れる日を楽しみにしていよう。

  
Image courtesy of Ollech & Wajs

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